教育

編集後記

個人的なことですが、相模原事件について授業でも取り上げました。さまざまな感想の中、「容疑者は死刑になるのでしょうか」という質問がありました。現実には精神鑑定がなされていますし、その結果次第であること、19人も殺したのだから、判断能力があったとみなされるならば死刑になるだろうし、政局の運営上、安倍政権が死刑にしたければ、精神鑑定じたいに政治が介入する可能性も示唆しました。そのうえで、個人的には容疑者を死刑にはしてほしくない、生きてその罪を償ってもらうしかないと思っています。そのためには、容疑者が「正義」であると考える障害者の安楽死を絶対に許さない社会の構築が必要です。社会が変わらなければなりません。死刑にするのは、社会が変わりたくないためで、容疑者を「処分」してこの差別社会の構造は温存するやり方であり、容疑者の考え方と同じであると考えています。死刑という刑罰を存置しておくのは、結局のところ「人は変わらない、社会も変わらない」ことを前提にしてしまっているように思います。人は変わります。社会は私たちが変えようとしないだけです。死刑によっていのちが奪われることも、許されてはならないと思います。

« »